首相辞任と「幸福な家庭」の終焉
- tsuruta
- 2020年8月28日
- 読了時間: 8分
更新日:2020年9月4日
今日、首相辞任の報を受けて驚いた人は多いと思う。私もその一人だ。首相の辞任で景気が悪くなるという人もいるが、本当だろうか?少し振り返ってみたい。
2012年末に第二次安倍政権は発足した。たまたまグローバル景気が反転上昇に転じる
タイミングだった。それを背景に日本の景気も回復した。東日本大震災や民主党政権末期の
停滞感のあとに開けた景気回復である。当時は、景気も相場も一気に祝祭的なムードに包ま
れた。それがアベノミクス1年目のインパクトを大きなものにした背景であった。ある経済評論家も言っていたが、2013年から始まった景気回復は「幸せなマリアージュ(結婚)」だったからである。
実際、2013年からからアベノミクスとグローバル景気回復のマリアージュは偶然ではなかったであろうが、幸せな時期であった。 アベノミクス自体は、正しい方向を向いた政策であり、今後も形を変えてある程度は継続されるであろう。当時は、株式市場 もそれを好感して相場上昇となった。私は言いたのはアベノミクス期待だけで株が上がった、わけではないという点である。 重要な点は、アベノミクスが、グローバル景気回復と同時に併存する、そのカップリングにある。それを 「幸福なマリアージュ」と言いたいのだ。
アベノミクス、特に日銀の金融政策の変化で円安がもたらされ、それが日本企業の業績改善期待に結びついたのは確かである。グローバル景気回復という大きなバックグラウンドがあって、日本(特に日銀)は政策を大転換、デフレ脱却を目指し、円高も是正される。この「幸福な結婚」、「諸条件のマリアージュ」が日本株ラリーの根底にあった。それは今もある意味では続いているのかも知れない。
このマリアージュ(結婚)が、偶然にも幸福なものであるのは条件がそろったことは確かである。今回は「結婚」で例えているが、思い出すのは「アンナ・カレリーナ」である。トルストイが描いたロシア文学の名作で『アンナ・カレーニア』の書き出しは、「幸せな家庭」である。これは複数形だが、「不幸な家庭」は単数形だ。つまり、不幸な家庭はそれぞれ個々の要因があって形が全く別の形で違う不幸だが、幸せな家庭というものは十把一絡げに複数系で捉えることができる、というのだ。
なぜか?
幸せになるためには条件がある。それがすべてそろっているから幸せであり、よってどれも似通ったものとなるのは当然だろう。条件は「健康」「明日への期待」「経済的な安定」「親族や周りとの適度な距離を置いた心地よい関係」「周囲の理解」などがあろう。これは自分の親族を見てもそうだ。幸せは、いつもこれらを満たしワンパターンだが、不幸せはそれぞれ別の形をしている。
当時の日本市場は株高となる条件が すべてそろっていた。いわば、「似通った幸せな家庭」のように見えた。 ちなみにマリアージュ(mariage)とは、フランス語で「結婚」を意味する言葉。英語のマリッジ(marriage)ではない。フランス語のマリアージュには「理想的な結婚生活のようにお互いを一層高め合う」という意味があるからだ。そのため料理とワインの素晴らしい組み合わせにもこのマリアージュという言葉が使われる。アベノミクスとグローバル景気の回復-それは、まさに「幸運なマリアージュ」と呼ぶべきものだった。
そして、それはコロナ禍前まで続いた。今に至り、特に今年2月になり、苦しい時期がグローバルで始まったのだ。各国で違う形の不幸が始まった。初めての不幸なマリアージュであろう。だが、それは株式市場にとっても大きな試練である。世界的な金融緩和が続き、これでもか、と言うほどの資金が市場に流入し続けた。そして、それは今でも続いている。一国(それも、大国でもない国際政治で影響力の無い国)の首相の終焉で変わるはずもない。
私の結論は、今回の安倍首相辞任が市場にもたらす影響は「限定的」なものにとどまる、ということである。その理由は、日本の株式市場を動かす要因の大半はグローバルな経済環境であり、日本の政権が変わってもグローバルな経済環境への影響は大きくないからである。無論、政治や政権の安定は株価の材料になる。ただ、あくまでもその政権、政府による政策が経済をどう動かすかを市場が評価して、株価が動くのだ。少し振り返ってみよう。
アベノミクスは日本経済にどのような影響を与えたのだろうか。アベノミクスはその開始直後こそセンセーショナルに迎えられた。安倍首相自身がNYで「Buy My Abenomics」と売り込む姿は印象的だった。まさにトップセールスであった。しかし、アベノミクス3本の矢で本当に日本株が上がったのだろうか。そんな単純な話ではないことは、このブログの読者はすでにご存知であろう。
日銀の異次元緩和は確かに一定の効果はあった。黒田総裁は最初の記者会見で「2年程度で2%インフレを達成する、そのためにマネタリーベースを2倍に、日銀が買う国債を2倍に引き上げる」と公約した。「2年・2%・2倍」で市場を驚かせた。しかし、これだけ緩和をおこなってもインフレにはならない。それは「世界的な現象」だからだ。日銀だけを責めても仕方がない。だが、当初の目標が達成されていないことは事実だろう。
それでもアベノミクスの実質1年目の2013年、日経平均は41年ぶりの高い上昇率を達成した。アベノミクスで確かに株価は高騰したように見える。しかし、冒頭にいったように実際には2012年12月が景気の底で、そこから景気回復が始まっていたのである。2012年12月の総選挙で第二次安倍政権が誕生したから、景気が底打ちしたのはアベノミクス始動前のことだ。では、どうして日本の景気は反転上昇に転じたのか。グローバル景気が反転上昇したからである。
2013年からの株価上昇に「幸せなマッチング」による安倍首相の金融政策の影響は大きかったが、「成長戦略」の影響は、ほとんどなかった。大きなマイナスはなかったが、実体経済に大きなプラスもなかったのではないか。グローバルな景気回復や金融緩和の流れの大きな渦の中で、日本のデフレ脱却政策の一環としての金融政策が株価上昇に効いただけだ。
グローバル景気回復という大きなバックグラウンドがあって、日本は金融政策を大転換、デフレ脱却を目指し、円高も是正された。この「幸福な結婚」、「諸条件のマリアージュ」が2013年の日本株ラリーの根底にあった。安倍政権の金融政策と株式資本政策が当時の世界金融事情との流れにマッチしたのである。これを偶然という人もいるかもしれない。しかし、政治は「結果」が全てではないか。安倍政権の成果と言って良い。むしろ、大したものである、と積極的に評価すべきであろう。
今の話に戻そう。世界景気や金融事情の流れと日本の政治と金融政策である。
これは今も同じではないか。世界的な金融緩和の中で、幸福そうに見える結婚は続いている。だが、実際にはそれぞれの国情によって、その「幸せ」はいずれ崩れるのかもしれない。その流れの中に日本はいる。いわば、アメリカも中国も日本も同じではないか。その意味では、今の世界的な緩和状況は変わらないだろうし、誰も変えられるはずもない。
一方、産業や事業の方はどうだろうか。
日本は今回のコロナ禍で新たなビジネス・スタイル改革の必然性を痛感し、50台以上の保守的な「おじさんたち」が、本気で変えようとしている。このDX化の波は誰も止められない。政治も、今度は本気だ。そのための資金も今は市場に十分にある。新しいものを生み出すには、DX化の大きな流れに着いていけない古いものは、表舞台から退場せねばならない。
そう、ゾンビは不要なのだ。
今、メジャーバンクは10月ごろから貸し膨れている中小企業への融資を見直すと聞く。残念ながら、ゾンビ企業を残しておくと、新しい生命は生まれないのだろう。改革も生まれないのだ。ゾンビ企業は、やはり、どこかで表舞台から退場せねばならないのだ。DXの流れに乗れない産業や企業は、自分が変わるか退場するしかないのだ。
若い優秀世代も、今は海外への頭脳流出も出来ない。ある意味、良い時期なのである。
「不幸な家庭」となる国家は出てくるだろう。緩和から目を覚まさないといけない債務超過国は多い。彼らは早く酔いを醒ますことが大事だ。猶予ばかりは、早々続かないだろう。欧州の小国は特に危ない。ラテンアメリカの数か国も難しいだろう。だが、日本は、むしろ恵まれているのだ。資金、技術遺産、人材、そしてこれらを活かす伝統的なリアルビジネスの強さ。これらが揃っているところは、世界では少ない。全体的なまとまりや総合力には欠けるが、私欲に染まらない若い優秀な官僚も多くいる。世界的に見れば、恵まれているのではないか。
次の総裁は自民党でSさんかKさんかIさんになるであろうが、どちらにしても所与の条件は同じ。そして彼ら個人の思いがどうであれ、自民党の政策は「経済重視」、「自由競争重視」、「株式市場重視」なのだ。個々の政策がどうであれ、市場への影響は数%内だろう。そして、それも一時的だ。そこから「次の人」が決まれば、そこに「期待」が生まれる。ここが大事だ。日本国民の優しい?ところだ。しばらくは、やさしく見守るだろう。そのサイクルで、日本の株式市場は底堅い動きをするだろう。つまり、何度も言うが今回の影響は少ない、ということである。ただ、そのことよりも10月から始まるであろうメジャーバンクの「貸し剥がし」の方が、私は心配だ。
新しいものを生み出すときは、必ず痛みを伴う。その痛みに耐えられるであろうか。
今回のことは、「不幸な家庭」の始まりではないが、「幸せな家庭」は終わりつつあることは覚えておきたいものだ。「平凡な家庭」への回帰かもしれない。それぞれの家庭の努力によって、異なった幸せはつかめるし、国家も同じではないか。そう思いたいものだ。あまり高望みはいけない。分相応な幸せを掴める国家になっていくのだと信じたい。
そういうことを考えさせた本日の突然な首相辞任のニュースであった。少しは動くかもしれないが、「動じまい」と心に決めた日であった。
「平凡な家庭」を築いてきた老人が、細い山道を歩きながら考えた。

Comments