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K字型回復とガバナンス

  • 執筆者の写真: tsuruta
    tsuruta
  • 2020年8月11日
  • 読了時間: 7分

更新日:2020年8月13日

しばらくブログを書いていなかったが、私がコロナになったというわけではない。リスクは抱えているだろうが、まだその兆しはない。むしろ事情は逆で、リモートによる取材などで結構忙しくしていた。このブログを読んでいただいた方々には申し訳ない。ただ、こういう経済状況の中で、個人的には有難い話である。


さて、いつものように企業や株式の話をしよう。


世界経済のゆくえはV字型でもL字型でもなく、K字型になるとの見方が主流だ。当たり前と言えば、当たり前の話である。いつの相場でも、そうであったと思う。良いところは良いし、悪いところは悪い。当たり前の話。ただ、少し傾向があるので、ここに私見を記しておきたい。


個人好みの銘柄の株価は下方に向かっている。逆に言えば、玄人好みの銘柄は強い動きを示している。個人が好む株式とは、株式単価が低く、認知度が高い大企業群だ。みずほFG、吉野家HD、メーカーでは日本製鉄、キャノンというところか。そして、日本郵政なども入るだろう。皆、年初から見ると大きく下がっている。個人好みで上がっているのは任天堂とソニーくらいだろうか。あることはあるが、その数は少ない。


無論、コロナの影響は避けれまい。ただ、それだけではない。問題は、株価の深刻な低迷の要因がコロナ禍による需要減だけではない点にある。そこに日本の有力企業の深刻な問題が横たわっている。ここで言いたいのは、これまで個人に好まれてきた日本を代表する大企業群の株価が深刻な低迷にあえでおり、その要因がコロナ禍による需要減だけではないということである。


今年度に経常減益または赤字転落の見通しの企業で多くは、(1)スピード感の無い意思決定、(2)リスク管理体制の不備、(3)市場の構造変化の見誤り、(4)ずさんな経営――などが業績悪化の真因になっていることが大きい。PBR(株価純資産倍率)で1倍割れが半数以上であり、うち多くは0.5倍にも満たない。高コストの人材も含め、無駄な経営資源を大量に抱え、変化の兆し(口だけは言うが)が見えなく、成長期待が感じられない。


こういった不作為やリスク感覚の無さが、末端では具体的にどういう結果につながるのか?上がらぬボーナス、止まらぬパワハラ、重なる無理は、士気に影響するだけにとどまらない。


8月10日の日経新聞1面に「国内会計不正 5年で3倍-粉飾や資産流用・統治実効性に課題」なる見出し記事が掲載された。ある調査によると、2020年3月期は前年から比べて不正会計が7割増し、5年前と比べると3倍もの会計不正事件が発覚した、というものだが、会計監査人が設置された上場会社だけの範囲の調査結果であろう。


2021年3月期は、新型コロナウイルス感染症の影響は否定はしない。しかし、その陰に隠れて市場は、経営の良し悪しをしっかり選別してきている。「トヨタ」と「日産」の比較は鮮明であろう。経営に優れリスク感覚を研ぎ澄ませたトヨタの株価の安定性は、日産の鈍感経営で低迷するそれを凌駕している。「日立」と「東芝」にも同じような構図が見える。どちらがどちらかを言うまでもあるまい。


また、一般論を言えば、前年にも増してさらに今年の会計不正事案は増えることが予想される。ドイツ最大の会計不正事件になった「ワイヤーカード社」(2200億円もの架空預金の存在が判明)にしても、最初は昨年1月の内部告発を契機にフィナンシャルタイムズが報じたニュースに対しては「全くのナンセンスな報道」と平然と構えていた。しかし、ご存じの通り、実際は違った。


日本も同じであろう。「会計不正など全く関係ない」という企業がほとんどだが、本当にそうだろうか。そういうリスクも考慮して、内部統制や監査の仕組みを強化している上場会社も多いと思うが、実際の会計不正の疑惑などが報じられるのは、来年、再来年の話だろう。今は顕在化していないものだ。リスクを抱えている企業は多いはずだ。


取材をしていると不正とまではいわないが、リスク管理体制に疑問を感じることが多い。対面している人たちが、広報や経営企画関連ということもあるだろう。たまに優れた経営者と会うとリスク感覚が合うこともある。ただ、一般的に言えば、IRや経営企画の部課長程度からは、経営のリスクに対する危機感は伝わっていないことが多い。サラリーマンで駒としてのディフェンスしできないということ以外に、立場もあろうがそれよりも経営に関する感覚が、経営者とは全く違うのだ。そういう人にIRを「全て」を任せることは、将来を見通すと危険だ。投資家としては、「経営感覚がそういうレベル」として、そこへの投資をスルーするしかない。危機感や課題意識の無さは、企業がそのまま留まるサインであり、経営では大きな問題なのだ。それで良ければそれで良いが、PBRはそれでは「1」を超えないだろう。それが今の個人が好む大企業の姿だ。


相場の話に戻る。現在は米国株と同じ歩調で、あるいはそれ以上に日本株式全体としてみると、勢いはある。流動性過多の状況は、コロナ禍の現在、政府・日銀当局としてはやもを得まい。今、この時期に証券会社があおり、ESGがブームとなっている。また、評論家も欧州の潮流を解説し、吹いていることには、仕方がないことだが、リスクを感じる。


思い出すのは、2000年のITバブルだ。典型例が当初、売れ行きが断トツの首位だったノムラ日本株戦略ファンド(いわゆる1兆円ファンド)があった。2000年の年明けにIT(情報技術)株人気はまだ続くという触れ込みで野村證券は売りに売りまくったが、そこがほぼ天井だった。「何々ブーム」と証券会社が言うのはそういうものだ。天井で買わせるときの常套文句だ。無論、うまくいく投信もあるだろうから、全部が全部とは言わない。ただ、ESG銘柄一色に染まることには危険を感じる。いくらESG(環境・社会・ガバナンス)が重要だからといっても、関連銘柄に大きな上昇余地があるとは限らない。そこが天井ということもある。自己責任をもって注意して銘柄を選定することだ。プロのアクティブな機関投資家はそういうことはしないだろう。彼らは個別銘柄の詳細を注意深く見ていく。


個人的にはESGのなかの「G」を当然、重要視する。これは計数化できない。感覚の問題である。例えば議決権行使支援会社などが、社外取締役の数が多いことがガバナンスにとって重要というなどと言うが、全くナンセンスだ。実際のところ、「ガバナンスの質」と「社外取締役の数」とは因果関係も相関関係もないことは、東芝や日産を見ればわかる。従って、私が関係するファンドは、ISSなどのこの種の主張は支持していない。むしろ、ガバナンスはもっとデリケートなものである。そもそもガバナンスの要は「次期社長を誰が決めるか」が、その肝であるからである。そういう話は企業ごとにそれぞれ違い、表に出すものではないというのが相場だ。この意思決定には「伝統や風土」など、企業の成り立ちが大きく関係する。一律に外野がどうこう言うのは控えるべき、と考えている。ただ、聞かれれば上場会社には説明だけはしてもらいたいもの。それが上場企業の作法ではないか。


私がIRをしていた30年前のことである。「御社の社長は誰が決めているのですか?」と投資家に聞かれたことがある。委員会など、発想すらない時代の話である。当時の私の答えは「内規で」とか「取締役の担当事業のここ3年の業績などを見て」などとしていたが、実際のところは、会長と社長の合意で、ということは分かっていた。また、これがこの企業の大きな問題とも思っていた。しかし、一律の正解はない。投資家はどんな解があると想定してそういう質問を聞いてくるのか?という疑問がその当時はあった。今は、分かる。非連続な事業環境の中では、前任者が後任者を決めている限り、大きな危機を脱することは出来ないということなのだ。そういうことを疑問に思い、投資家は聞いているのだろう。それほど足元からデジタル化やDXなどの大きな波が、何もかも変えていくからだ。


それでも一律に「解」は無い、と今も私はそう確信している。社外が誰々にしろと決められるわけでもない。ましてや前任者でもない。そして、自分を社長にしてくれた先輩役員でもあるまい。


現状に合わせ変革するには多少の時間(と言っても3、4年でいいが社外を中心とした委員会における議論)の熟成が必要だろう。オムロンのような形もあろうし、村田製作所の形もある。全ては「結果」だ。それを新社長就任後2年以内に出せれば、それで良い。外部にとっては、「結果」が全てではないか。「資本」から見た「経営」との関係は、どこまで行っても委任と信頼である。


そういう意味で、大きな変化の時期に、旧来の大企業の先輩役員や前任者が後任社長を決めるシステム継続では現状打破は出来ないだろう。結果として、多くの個人が好む日本を代表する伝統的な大企業群がPBR1以下を脱するのは困難となる。また、本音のところでは、それを大事だとも彼らは思ってはいまい。それがゾンビ大企業の現実だろう。


次回以降に、危機的な状況における、あるべき事業経営の話をしてみたい。


先日訪れた高千穂の滝を見ながら、ある大企業を考え、昔を振り返って書いてみた。


 
 
 

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