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母とひばり

  • 執筆者の写真: tsuruta
    tsuruta
  • 2020年5月19日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年10月10日

今日は、全く個人的なお話になる。


先週、母が内蔵不全で亡くなった。


老衰だった。


86年、短いようで長い人生だった。


静かな死だった。


家族葬を済ませた。母の願いでもあった。


昭和初期に生まれ、大家族の長女として兄弟の面倒を見ていたという典型的なその時代の生活をしていた。勝気で気持ちの強い人であった。妹、弟の面倒のため、ついに女学校に行けなかった。小学校、中学校と級長をしていた話を何度も聞かされたので、頭は良かったのだろう。大学に行けなかったことが口惜しかったのであろう。そのせいもあるのか、息子には教育で力を入れた。


それから苦労して息子3人を育てた。自己犠牲の上に息子に高等教育を与えた。戦後まもなくである。よくある話だろうが、息子たち当事者はその恩を母に返していない。如何ともしがたい。何ともしがたい渋柿のような味がする気持ちが残る。


親の死というものは、そういうものだろうか。


法的などうでもよい手続きをしていく。複雑な精神の疲れだけが残る。残り物や写真を整理していると、つい手が止まる。思いのほか時間がかかる。


自分が思ったように体が動かない。ついつい何かを考えてしまう。考えた後、数秒後に何を考えていたかを忘れている。普通ではないのだが、どうにもならない。ゆっくりやろう。ゆっくりやろう。自分に言い聞かす。


私もあと20年で逝くのかと、考える。悔い無きように生きよう。


出来ればであるが・・・。


そんなことを考えながら、また、写真を整理する。外はすっかり初夏だ。風が心地よい。窓から見えるツツジが綺麗だ。メジロやヒバリのさえずりが聞こえる。


ヒバリか。


母は美空ひばりの曲が好きであった。特に「川の流れのように」をよく口ずさんでいた。昭和を駆け抜けた歌手だ。


この曲は1989年に発売されたが、同年、ひばりは52歳で死去し、結果的に本楽曲が遺作となった。没後に205万枚まで売り上げ、自身最大売上のシングルとなったらしい。1989年に行われたひばりの本葬では、北島三郎、都はるみ、雪村いずみ、森昌子等の歌手仲間がこの曲を葬場で歌い、ひばりの霊前に捧げた。そういう曲なのだろう。


弟が葬儀で私に聞いた。「おふくろの人生は、あれで幸せだったのかなあ。」


私は自然に「そんなことも考えずに、その時その時、懸命だったよ。」


淡々と言った。思いもよらなかった。本当にそう思っているのか、思いたいだけなのか、自分でも分からなかった。


昭和という時代がそういう「がむしゃらな時代」だったのではないか。


母は、ひばりの「川の流れのように」の歌詞にあるように生きてきた86年ではなかったのか。懸命に、また、がむしゃらに生きた。苦しかったのか、楽しかったのか。そういうことも感じる間がない86年だったように思う。


歌詞の通りのようだ。


知らず知らず 歩いてきた

細く長い この道

振り返れば 遥か遠く

故郷が見える

でこぼこ道や 曲がりくねった道

地図さえない それもまた人生

ああ 川の流れのように ゆるやかに

いくつも 時代は過ぎて

ああ 川の流れのように とめどなく

空が黄昏に 染まるだけ


夕方、散歩に出た。


空を見る。


雲が光った。時間は止まらない。


ヒバリが鳴いた。また、鳴いた。


ああ、母が逝った。


いつもの道の風景が、確かに違って見えた日だった。


どこまでも個人的な話だが・・・・・。






 
 
 

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